魔性の克服

人は、神性を求めながらも異なる魔性に支配されながら生きている。

人は、魔性から解放されることなく、自ら神の光を輝かせることはできない。

それでは魔性から解放されるとはどのようなことだろうか。
魔性に支配されるとは、罪穢れに支配されることであるが、罪穢れとは何であろうか。

罪とは、字のごとく、四つの非なるもの、四つの穢れ(魔性)を指している。

1つ目の穢れは、人は誰もが自己欲の穢れを有している。人はヤハウェのごとくに親の立場で人を愛せないということである。魔性が自己中心の愛ならば、神性は自らの欲を超えた無償の愛であろう。

2つ目の穢れは、自らの非を認めず他に責任を転嫁することである。人は素直に自分の非を認めようとはせず、それどころか他に責任の所在を押し付けようとする穢れを持っている。原因は、素直になれないところにあるが、その本質は自己中心欲の穢れであろう。

3つ目の穢れは、人は自分よりも優れた神性を素直に認めようとはせず、それどころか否定しようとさえする。人は、自分の範疇にある存在は愛することができるが、それを超えた存在を素直に認め愛することはできず、支配さえしようとする穢れを持っている。この本質も自己中心欲からきているものである。

4つ目の穢れは、人は善を繁殖する以上に悪を繁殖する穢れを持っている。善い噂よりも悪い噂の方が繁殖しやすい。これは人の中に悪を喜び繁殖する穢れがあるということである。人は、善の繁殖に努力する必要があるということである。

四つの非なる魔性が人の遺伝子には刻まれているということであり、この魔性の克服こそが人間本来の神性と真の愛を取り戻して行くカルマ解消への道程でありましょう。